なぜ、絵を画くのでしょう。 前川 強
「いい絵が出来た!」「この感動を人に伝えたい」その気持ちが絵を画く原動力になっているのだと思っています。
子供の頃から空想の世界に入るのが好きでした。第二次大戦中、物が何も無かった時代に、毎晩、紙と鉛筆を持って寝床に入り、未来都市を描いていました。戦後は、世界が一気に自由になったように思い、その象徴のような抽象画に、大変魅力を感じました。やがて、デザインの世界に興味をもち、高校は図案科に進みました。絵ではモダンアートの公募展に出品するようになり、「具体」のメンバーとも知り合い、「具体美術」の世界に参入していきました。
「具体」は作品が「おもろい」「アカン」で決まっていく、とてもシンプルなグループでした。
とにかく「新しくなくてはならない」「新発見、新発明であること」で、もう果てしなく無限の世界に見えてきたのです。「人の真似をしない」「世界で初めて」といった強烈な合言葉に、若い私は大きな刺激を受けました。1963年、大阪の中之島に「グタイピナコテカ」という美術館ができ、私もここで個展をしました。会場は広く、1000号、200号といった大作を中心に数多く並べました。現在までの個展で、一番多く制作した時期だったように思います。この時は、作品が売れるとは思ってもいなかったのですが、後日、世界各地の美術館に所蔵されるようになり、今では、当時の作品は1点も残っていません。
私の作品は、主にドンゴロスの布地を使ったものが多く、細長く切った布地をヒダ状に盛り上げ、接着剤で固定させ、その上からペンキなどで彩色した物でした。アンフォルメルの創始者・フランスの批評家ミッシェル・タピエ氏は展覧会場で、初めて私の作品を見て、大変興奮し、絶賛してくれました。ある美術評論家は、当時の展評で、「ドンゴロスは生かされており、色面との対比において線の太い緊張関係を作り出していることによって、原初的な時点から構成された格調へと生命の高まりを見せている。ドンゴロスの野卑な質感を発展的に解消させた点に前川の造形力の強さが認められる。」と書いています。
「具体」解散以降、「布」だけの作品を作り始めました。「絵具を抑えどこまで表現できるか」、それがミシンで縫う作品です。この手法では現代日本絵画展大賞をはじめ多くの賞を受けました。これらの作品については、別の美術評論家の「布を凝視する精神」という見出しの作家論の中で、「この作家はキャンバスに絵を画くことより、キャンバスの素材そのものの魅力にとりつかれ、手を変え、品を変えて、布と格闘し続けてきた」と記しています。60年を超える制作活動で、物質にこだわり、なかでも終「布」に執着していたかもしれません。
私自身の制作する時の信条として、一番大切に思っていることは、「独自のものである」、「真似をしていない」、「亜流ではない」、また、「文学的なもの、宗教的なものなどが入っていない」などを踏まえ、「あくまでも色と形と物質による純粋抽象表現で発言する」ということです。
作家は一人一人が元祖でなくてはならないと思っています。