概要
「具体」、正式名称・具体美術協会は、日本における戦後初の前衛的なアーティスト集団です。抽象性を超え、純粋なる創造の可能性を追求することを目的に1954年に結成されました。物質の特性を変化させるのではなく、精神と物質との密なる相互作用を語ることにより、究極的にはアート自身が語ることになると強調しました。「具体」という名称は「我々の精神が自由であることの現行の具体的な証明」を意味します。「精神」は各個人に固有ですが、ひとつの大きな全体をも成します。具体は吉原治良によって率いられた若いアーティストたちによって構成されました。吉原というカリスマ指導者のもと、若者たちは伝統的なアートの境界に挑み続けました。
今展では “GUTAI STILL ALIVE(具体は死なない)” と題し、14名の具体アーティストを採り上げます。具体は歴史上のムーヴメントと思われがちですが、彼らの中には前川強のように依然として新境地に挑み続けている作家も健在です。具体の評価は昨今海外においてさらなる高まりを見せていると同時に、”GUTAI”という語は様々な美術の言説に登場します。「具体」で彼らは何を得、どのようにそれぞれの創造性を磨き、今に繋げているのか、そして、なぜ私たちはこうも「具体」に魅了されているのか。今展がその魅力の一端でも開示することになれば幸いです。
出展アーティスト(順不同・敬称略)
吉原治良,嶋本昭三,吉原通雄,上前智祐,浮田要三,田中敦子,白髪一雄,元永定正,鷲見康夫,前川強,松谷武判,名坂有子,堀尾貞治,松田豊
今展では “GUTAI STILL ALIVE(具体は死なない)” と題し、14名の具体アーティストを採り上げます。具体は歴史上のムーヴメントと思われがちですが、彼らの中には前川強のように依然として新境地に挑み続けている作家も健在です。具体の評価は昨今海外においてさらなる高まりを見せていると同時に、”GUTAI”という語は様々な美術の言説に登場します。「具体」で彼らは何を得、どのようにそれぞれの創造性を磨き、今に繋げているのか、そして、なぜ私たちはこうも「具体」に魅了されているのか。今展がその魅力の一端でも開示することになれば幸いです。
出展アーティスト(順不同・敬称略)
吉原治良,嶋本昭三,吉原通雄,上前智祐,浮田要三,田中敦子,白髪一雄,元永定正,鷲見康夫,前川強,松谷武判,名坂有子,堀尾貞治,松田豊
アーティスト情報
具体美術協会
活動期間|1954 - 1972
具体美術協会、通称「具体」は、抽象のさらにその先を目指して1954年に設立された。究極的には作品自身に語らせることを目指し、精神と物質とのインタラクション(相互作用)を具現化した。具体という語が意味するのは「我々の精神が自由であることの現時点での具体的な証左」。リーダーの吉原治郎は、「人の真似をするな!」「今までになかったものを作れ」と説いた。1957年日本を訪れていたフランスの美術評論家のミシェル・タピエは、具体を「日本におけるアート・アンフォルメルのパラダイム」として世界に発信した。具体に関する回顧展は、新国立美術館(東京)、グッゲンハイム美術館(ニューヨーク)、スーラージュ美術館(フランス)等各地で開催され、戦後を代表する芸術運動として認知されている。
活動期間|1954 - 1972
具体美術協会、通称「具体」は、抽象のさらにその先を目指して1954年に設立された。究極的には作品自身に語らせることを目指し、精神と物質とのインタラクション(相互作用)を具現化した。具体という語が意味するのは「我々の精神が自由であることの現時点での具体的な証左」。リーダーの吉原治郎は、「人の真似をするな!」「今までになかったものを作れ」と説いた。1957年日本を訪れていたフランスの美術評論家のミシェル・タピエは、具体を「日本におけるアート・アンフォルメルのパラダイム」として世界に発信した。具体に関する回顧展は、新国立美術館(東京)、グッゲンハイム美術館(ニューヨーク)、スーラージュ美術館(フランス)等各地で開催され、戦後を代表する芸術運動として認知されている。
作家略歴
▍吉原治良 1905 - 1972具体創立者・リーダー
「具体美術協会」の設立者にしてリーダー。大阪の植物油メーカー「吉原製油」の家に生まれ、中学校在学時にゴッホやセザンヌに夢中になり、独学で油絵を描き始める。転機となったのは、吉原が敬愛する藤田嗣治との出会いである。1929年、藤田がパリから一時帰国した時、作品を見てもらうが、「他人の影響がありすぎる。」と酷評される。以降、「絶対に人のまねをしない」と自らに誓い、戦前から関西で前衛美術家として活動。
▍嶋本昭三 1928 - 2013
具体在籍 │1954 - 1971 ※創立メンバー
「具体美術協会」の創設当初からのメンバーであり、「具体」の名付け親としても知られる。―我々の精神が自由であるという証(あかし)を、具体的に提示したい―という思いからグループ名を考案した。塗料を詰めた瓶を画面に投げつけ、粉々となった瓶の破片や画面上に分散する塗料の跡をそのままタブロー作品にするという「ビン投げ」パフォーマンスで国内外で高い評価を得る。
▍吉原通雄 1933 - 1996
具体在籍│1954 - 1972 ※創立メンバー
具体創設者、吉原治良の次男として生まれた吉原通雄は1954年、関西学院大学在学中に具体美術協会の結成に参加。初期には砂や土など自然の素材を用い、大地をテーマとした作品制作を行うが、その後スタイルを一変し、色彩に富んだ素材(紙テープ・色紙)や蛍光管を用いるライトアートを試み、色帯の流れを一点に絞り込み放射状に上昇する幾何学的形態を構成させた。
▍上前智祐 1920 - 2018
具体在籍 │1954 - 1972 ※創立メンバー
京都府中郡奥大野村生まれ。一歳の頃に父親を亡くし、貧しい家庭環境で育つ。12歳の頃舞鶴市の京染店に丁稚奉公に出たが、ここで経験した縫い作業がその後の創作活動の原点となった。細かい点描で時間をかけて集積させた油彩画、マッチ棒やおがくずを塗料で塗り固めたマチエールによる絵画、布と糸を素材に丹念に運針を重ねた「縫い」の作品など、綿密な手作業の積み重ねによって物質と平面の関係を問い、手技の画質にこだわり続ける画家である。
▍浮田要三 1924 - 2013
具体在籍 │1955 - 1964
兵役後の1947年、大阪の出版社の尾崎書房に入社し、翌年創刊される月刊誌『きりん』の制作・編集に携わる。『きりん』表紙絵の依頼を機縁に吉原治良と交流を深め、またその勧めで作品制作を始める。1955年31歳で具体美術協会に参加、物質感の強い分厚いマチエールでシンプルな形態を塗り固めた作品は吉原から天衣無縫と評された。
▍田中敦子 1932 - 2005
具体在籍 │1955 - 1965
1955年より具体美術協会に参加。20個のベルを2メートル間隔でつなげた作品、幾つもの電球や管球をくくりつけた電飾衣装を着た『電気服』のパフォーマンスで一躍注目された。電気配線のデッサンからアイデアを得、円や曲線が複雑に入り組んだ平面作品を展開。メディウムに合成樹脂エナメル塗料を用い、滑らかな絵肌、鮮やかな色彩で独自の存在感を放つ。具体初期を代表するアーティストのひとりであり、国際的に草間彌生、オノヨーコと並ぶ偉才と評される。
▍白髪一雄 1924 - 2008
具体在籍 │1955 - 1972
兵庫県尼崎市出身、京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)で日本画を学ぶ。日本におけるアクション・ペインティングの草分けとされ、海外で最も知名度の高い具体アーティスト。天井に吊り下げたロープにつかまって素足で描くという、激しいアクションを伴った絵画制作で知られている。 1971年には比叡山延暦寺で得度、法名は「白髪素道」。1993年ヴェネツィア・ビエンナーレ出展。その作品は多数の世界的コレクターによって収集される。
▍元永定正 1922 - 2011
具体在籍 │1955 - 1971
具体初期を代表する作家のひとり。後年は絵本作家としても活躍し、そのユーモラスな画風が幅広い年齢層に認知された。具体美術協会には1955年から71年まで所属。着色した水をビニールに入れて吊るした「水の彫刻」に始まり、日本画の伝統的な画法「たらしこみ」の応用、アクリルをエアブラシで飛散させるなど革新的な技法を次々に展開する。1966年から67年に掛けて渡米、海外では早くから評価された。
▍鷲見康夫 1925 - 2015
具体在籍 │1955 - 1972
中学・高校で教員生活をしながら、同僚であった嶋本昭三の勧めで絵を描き始める。独学で美術を学び、第7回芦屋市展に出品した際、自由奔放な作風が吉原治良の目に留まり55年に具体メンバーに加わる。数学の教師であった鷲見は、偶然から「そろばん」が描く軌跡の美しさを発見し、描画に用いている。「やけくそ・ふまじめ・ちゃらんぽらん」を制作上の信条とし、インスピレーションと即興性に満ちた作品群は吉原治良にも賞賛される。
▍前川強 1938 -
具体在籍 │1962 - 1972
1936年大阪に生まれた前川 強は、1962年具体メンバーに加わり、以後具体第二世代の中心として活動する。前川は麻袋の材料である目の荒い厚い布“ドンゴロス”に着目し、それらを裂いて襞(ひだ)をよせ画面に定着させた、絵画と立体造形の要素をあわせもつ表現を生み出す。具体が解散した1972年以降も一貫してマテリアルにこだわり、繊維の細かな柔らかい麻布や綿布といったさまざまな布を駆使して作品を生み出し続ける。
▍松谷武判 1937 -
具体在籍 │1963 - 1972
1937年大阪市生まれ。1962年からビニール接着剤を用いたレリーフ状の作品を制作、吉原に高く評価され、1963年具体美術協会会員となる。1966 年フランス政府留学生選抜第1 回毎日美術コンクールでグランプリを受賞し渡仏。S.W.ヘイターの版画工房アトリエ17で銅版画を学び、のちに助手を務める。モンパルナスに自身のシルクスクリーン版画工房を造る。2017年のヴェネツィア・ビエンナーレではメインセクション、2019年ポンピドゥーセンターでの個展と世界の第一線で活躍中。
▍名坂有子 1938 -
具体在籍 │1963 - 1972
1962年二科展や芦屋市展で立て続けに受賞し、吉原治良と出逢う。翌年、具体美術協会へ加入。実家がメーターの製造所であったことから、「円形」は名坂が幼少時より親しんだモチーフであり、生涯をかけて取り組むことになる。回転板と樹脂を用いて同心円のレリーフ状の作品を数多く発表。制作の一時中断などを経て現在もなお、円の連結作品や大作に対峙しつづけ、近年ではヨーロッパでの評価も高まっている。
▍堀尾貞治 1939 - 2018
具体在籍 │1965 - 1972
1939年神戸市兵庫区生まれ。目には見えない“空気”という存在を“あたりまえのこと”と表現し、“空気”の具現化を目指した制作活動を行う。身の回りのあらゆるものに毎日一色ずつ色を塗り重ねる〈色塗り〉や、年間100を超える個展での発表やパフォーマンスイベントの開催など、芸術を日常に取り入れるべく、また日常が芸術になるべく、忙しなく活動を続けた。
▍松田豊 1942 - 1998
具体在籍 │1967 - 1972
後期具体を代表する作家であり、会員内では最年少であった。日本人としては数少ないキネティック・アート(動く美術作品または動くように見える美術作品)の代表的作家である。モノトーンを中心としたシンプルな色使いや形状は、理知的でありながらも不思議な安らぎとエレガンスを同時に体現する。1984年には大阪・難波に美術教室『ギャラリーDo』を開設し、幅広い教育活動も展開した。