描きかけの絵のまわりで 花田和治

アトリエの僕の背丈程のところに、小さな窓がある。それ以外の窓は明り取りとして天井際近くの東と西にある。できるだけ絵を描く場所を多く取りたいためである。

9年前、それまで使っていた2階のアトリエを子供二人の部屋と妻の洋裁室にしたので、家の北側にあった家庭菜園を仕方なくつぶして12坪程の部屋を建て増ししたのである。
天井だけは高くしたので、雨音がトタン屋根を通して直に聞こえてくるごく簡素な作りのアトリエになっている。
キャンバスは直接、壁に釘でかけているので、大抵、立って描いている。自ずと、じっと立ちつくすことよりも知らぬ間に行ったり来たりと、筆を持ったまま歩き回っている事が多くなる。ある程度、画想が決まり、いったん描き出すと、明けても暮れてもその絵が中心軸になり、僕はその描きかけの絵のまわりで日々の生活をしている状態となる。

そんな時、ふと、小さな窓から表が見える。窓の向こうには、小さな庭と今ではめずらしい舗装されていない4メートル幅の道路がある。

絵を描くという事は、目に見えるように、もうひとつの空間を作り出すことだと思っている僕には、絵に集中できなくなると、ついつい、この小さな窓から見られる外界はどうなっているのだろうと言う感じで、外の様子を見てしまうのが癖になっている。ただ、眺めているうちはいいのだが、小さな時から土いじりが大好きだった僕は、アトリエのドアから直接、庭に降り、いわゆる庭いじりを始めてしまうのである。

父親が、小学校へ入学する年に病死し、7人兄弟の末っ子だった僕は、人一倍、母親に甘えて育った。その母も17年前に亡くなった。

「家のまわりに草をぼうぼう生やしておいてはいけないよ」と女手ひとつの母は、よく外仕事を手伝わせた。庭掃き、草取り、薪割り、風呂沸かし、石炭運び…毎日、何かにか手伝わされていた。僕は我がままだったけど、手伝いが嫌いではなかった。母親といれる事、母が喜ぶ事が嬉しかった。土いじり、草花を愛で育てる楽しさ大切さを教えてくれたのは、母親だと思っている。

もうひとつ、何故、絵を描くようになったか。僕は、小学生の頃、今でもそうだが、やせっぽっちでやんちゃな負けん気があるクセに、何処かいじけたところのある、年齢よりもいつも2、3歳年下に見られる子供だった。そんな子を温かく大きく見守りながら、絵を描く面白さ楽しさを教えてくれた先生がいてくれたからである。

先生は、物を大きく描き、色を沢山使って熱中して描くと嬉しがってくれた。描き方を教えたり、ウマイ・ヘタで見なかった。先生自身が子供たちの描いた絵の中に入って来てくれて、感じ取り、楽しんでいるかのように、身振り手振りを交えて話をしてくれた。その子に共感し、励ましてくれるおおらかな力強さと温かさに満ちていた。

通信簿に“アヒル”ばかり並んでいる学校へ「行って来ます」と言っては物置に隠れているような子に、いわば、絵を描く事を通して外界には、君が見ている世界にはいろんな世界があり、出来事があり、自然や人や物事には、多様な豊かさが内にも外にもあり、どんなちっぼけなものでも自分の物の見方、感じ方しだいで、感得しだいで、絵に素晴らしいものとしての姿を現してくれるものなのだ、と教えてくれたのだと思う。

僕は五十を過ぎた今も絵を描いている。まったく、ありがたい事だと思う。小さな窓は、まず、開けたことがない。僕の絵が絵と言う窓を開け放ち、風を呼び込み、僕のまわりに吹いてくれるのを願っている。

北海道の5月、光に満ちた5月。昨年の秋に植え込んだ無数のチューリップは、どんな花を咲かせてくれるだろうか。無心に庭いじりをしている僕のうしろで、今年もおくふろが見ているような気がする。

「広報ほくれん Vol.173」1997年5月号pp.36-37より転載。