アーティスト紹介 #6-2靉嘔

靉嘔 (1931-)

茨城県に生まれる。1953年、瑛九主宰のデモクラート美術家協会に参加。58年に渡米し2008年に帰国するまでの約50年間、ニューヨークを拠点にアメリカと日本を行き来しながら活動を続けた。

1960年代には前衛芸術運動「フルクサス」に参加。フルクサスは、ジョージ・マチューナスやオノ・ヨーコといった多国籍なメンバーが美術、音楽、詩、舞踏など広いジャンルにまたがり既成の枠にとらわれないさまざまな活動をしたことで知られる。靉嘔も「エンヴァイラメント」(環境芸術)などで参画した。

靉嘔の代名詞である「レインボー」が初めて登場したのは1964年のパフォーマンス時である。その後、絵画や版画、彫刻からインスタレーションに至るまで多岐に渡って展開した。身の回りのあらゆるものを光のスペクトルの順である赤橙黄緑青藍紫で覆うこのシリーズでは、靉嘔はその法則をもとに6色から人間の可視能力の限界といわれる192色までをグラデーションにして用いている。身の回りの環境を虹で覆う時、それまでの3次元、4次元の実在あるいは感情は消え去り、新たな次元の実在が生まれる。靉嘔によるとそれは「新たなオブジェクト」であり「エボリューション(進化)」であるという。彼は自身のマニフェスト(*)において「レインボーによるエボリューションは新しいものを創造することとは無関係であり、たくさんの現実を新しい解釈の中に生きかえらせることの重大さを知らせるのである。」と語っている。

(*)「レインボーマニフェストⅡ」『芸術新潮』1972年5月号(新潮社)特集「装飾美術の原点」より