篠田桃紅 ニューヨークとの出会い 1956年

篠田桃紅(1913-2021)は1956年にニューヨークへ渡る。
当時のアメリカは多くの新しい考え方や流行が現れた変動の時期であった。
それはすべての分野に及び音楽、文学、映画、写真などで従来の表現形式が変革されて行く、

美術も例外ではなく、抽象表現主義が全盛となり、「ニューヨーク・スクール」とも呼ばれたこの新しい絵画スタイルによって、世界の美術の中心はパリからニューヨークへと移っていった。
抽象表現主義の代表作家、ジャクソン・ポロックはこの年の2月に自動車事故で他界するが、その後も絵画の主流がこのスタイルであることに変わりはなかったが、同時にジャスパー・ジョーンズやロバート・ラゥシェンバーグといった若いアーティストたちが次の時代に注目される新しい絵画を制作し始めていた時期でもあった。

新しい文化の中心地である当時のニューヨークを訪れて、篠田は様々な人に出会い、新しい自身の世界を構築していく。