#6 展示室6 たどり着いたところ

展示室6 たどり着いたところ (2000年代以降)

2000年代になると花田の作品はそれまでの図形的な描写から物語を連想させるような叙情的な描写へと変化していきます。

《母の列車》(2005年)は花田が小樽から札幌へ夜に帰ってくる電車のなかで出会った疲れ果てた女たちと、朝里(あさり)から張唯(はりうす)にかけてみた夜の海景がイメージにあります。まるで、暗鬱な夜空が疲れた女たちの心情を表しているかのようです。面白いことに、この絵の裏書きにはこう記されています。
「海が空になり 波が雲になってしまったが 雪はそのまんま雪である絵です」
花田の作品にはこうしたイメージの転換がよく行われます。そこには対象を柔軟にとらえる花田の感性がみてとれます。

《映美のFANTASY》(2005年)は窓からみた冬の夜空が描かれています。画面左の黒い縁取りは窓の桟を、水色のうさぎのような形は雲、その中にある白い半円は月、赤や青い粒は星を描いています。「映美」は一緒に住んでいた花田の孫の名前で、優しく、ユーモアあふれるこの作品には愛孫への想いが込められています。

晩年、花田は病を得て制作が困難になりました。《無題》(2010年)はその頃に描かれたものです。晴れた空を思わせる清々しい青を背景に4本のチューリップが咲いています。花田は制作に行き詰まるとよくアトリエから庭に出て土いじりをしました。庭先の草花は花田にとって親しみ深いモチーフだったのでしょう。また、4本のチューリップは花田の家族をイメージしています。描きかけの筆跡の向こうに花田は家族の肖像を思い描いていたのかもしれません。この作品は未完のまま、2017年に花田は71歳でこの世を去りました。

花田はエッセイ*の中で小学生の頃に出会った美術教師との思い出を語っています。

「絵を描く事を通して外界には、君がみている世界にはいろんな世界があり、出来事があり、自然や人や物事には、多様な豊かさが内にも外にもあり、どんなちっぽけなものでも自分の物の見方、感じ方しだいで、感得しだいで、絵に素晴らしいものとしての姿を現してくれるものなのなのだ、と教えてくれたのだと思う。」

少年だった花田にとって「絵を描く」ことは彼の最も深いところに根ざしたかけがえのないものでした。きっとそれは成人した後も変わらなかったことでしょう。さまざまな葛藤とともに描法を変えながら生涯を通じて「絵」という四角い窓にすべてを込めてきた花田の作品は、その奥からぬくもりに似た暖かさがあふれています。

エッセイ「描きかけの絵のまわりで」花田和治「広報ほくれん Vol.173」1997年5月号より

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360°カメラによる展示会場風景

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【作品画像】(上から)
《母の列車》 2005(平成17) 油彩・キャンバス 130.3×162.1cm
《映美のFANTASY》 2005(平成17) 油彩・キャンバス 112.1×162.1cm
《無題》(未完・遺作) 2010年(平成22) 油彩・キャンバス 194.0×112.0cm