作品紹介 #2-2 展示室2 麻布  Work (No.151026)

展示室2では、「具体美術協会」(具体)が解散した後の前川の挑戦を紹介します。

その前にまず、デザイナーとしての前川の姿をご紹介します。なぜなら、新たに作り出した作風にはデザイナーとしての経験が活かされているからです。

1945年の終戦を9歳で迎え、「もはや戦後ではない」と謳われた1956年に20歳になった前川は戦後の動乱期に多感な少年時代を過ごしました。この頃、連合国の占領下におかれた日本には広くアメリカ文化が流入し、当時の若者たちがそれを新時代の象徴として受け入れたことは想像に難くありません。前川もまた、レイモンド・ローウィ(1893-1986年) (*1)のデザインワークである煙草「ラッキー・ストライク」のような仕事に新しさを感じ、デザイナーに憧れを抱きます。前川が1952年から在籍した「大阪市立工芸高等学校」は世界初のデザイン教育機関「バウハウス」の理念に基づいた教育が行われ、卒業生には戦後日本のデザイン界をリードした早川良雄(1917~2009年)(*2)らがいました。前川は同校の図案科でグラフィックデザインを学び、1955年に卒業した後は大手家電メーカーでグラフィックデザイナーとして働き始めます。時は高度経済成長の折、仕事は充実していましたが残業が多く自身の制作のための時間がとれなかったため、その後、映画会社「大映」の宣伝部に移り映画ポスターや新聞広告を担当しました(*3)。この頃、前川は優れた広告企画や広告表現美術を表彰する「広告電通賞」なども受賞しています。1962年に具体へ加入した後、1966年には自らデザイン事務所を立ち上げ、デザイナーとして働きながらアーティストとしての活動も続けます。

1972年、指導者の吉原治良が逝去し具体は解散しました。当時36歳だった前川は自らの制作を振り返り、「もう一度、布だけから始めてみよう」と考えます。それは、絵の具を抑え、色を抑えて、どこまで表現できるかという試みでした。

1975年、前川はデザイン事務所をたたみ、自宅で子どものための絵画教室を開くなどして制作に専念できる環境を整えます。1978年頃から前川はドンゴロスとは異なる素材の「麻布(Hemp cloth)」を用いるようになりました。麻の中でもHempは茎から採取した繊維から成り、柔らかく、そのナチュラルな素材感から一般的には衣類などによく使われています。

麻布のみで絵画を作成しようと考えた前川はまず、質感や色の違う麻布を縫い合わせ台形やひし形などのシンプルな図形を作ります。一つの素材に異質の素材をはめ込む「象嵌」(ぞうがん)の技法は金属や陶磁器などでみられますが、麻布では珍しく、麻布が組み合わさって図形ができる様は、まるで異なる地平が結びつき画中に多元の空間が立ち現れるかのようです。さらに前川はその図形を地とともにミシンでつまみ縫い(ピンタック)して、斜めに走る幾つもの細かなヒダの線を引きました。そこには絵筆で描かれた線とは違う物体としての線が立ち上がります。ヒダに生じる影もまた線の一部となって、物質的な描線が場の多元性と交錯しながら次の次元へと展開していきます。しかし、前川はこの複雑な構造を画面の中央に図形を1点置くだけのシンプルな構図で仕上げ、作品を決して難解に感じさせません。ここには長年デザイナーとして培われた前川のバランス感覚が活かされているのです。

この物質(布)によって空間を多重化する造形は従来の「絵画」の領域を超えたものになったといえるでしょう。なぜなら前川の作品はこれまでの絵画表現にはない、もちろん彫刻や工芸でもない、まったく新しい表現だからです。これまでにないものは、これまでの枠組みでは測れない。そこには「人のまねをするな」、「これまでにないものを作れ」という具体の精神が貫かれています。

1980~90年代にかけて前川は、図形の形やヒダの幅、数を変えて何パターンもの同様の作品を制作していきます。ダイナミックな装飾を削ぎ落とし、自らの胸の内をたどるかのように、ミリ単位の細かな作業を積み重ねてできあがるこれらの作品にはどこか柔らかい静謐さが漂い、観るものを内省へと導きます。

この作風で前川は、1981年に「第15回現代日本美術展」東京都美術館賞を、82年には「第4回ジャパンエンバ賞美術展」国立国際美術賞、「第14回日本国際美術展」京都国立近代美術館賞、「第5回現代日本絵画展」大賞と各賞を受賞しました。

恩師・吉原の指導のもと、個性あふれるメンバーとともに過ごした具体時代を前川の青春とするなら、吉原亡き後、その精神を受け継ぎながら自らを深く掘り下げ、独り新たな道を切り開いたこの時代は、前川の作家としての青年期とも言え、作家として、そして社会的にも確固たる土台を築いた重要な時期とみることができるでしょう。

*1  レイモンド・ローウィ(1893-1986年)
「口紅から機関車まで」というキャッチフレーズで知られる20世紀を代表するインダストリアル・デザイナー。フランスに生まれ主にアメリカで活動した。煙草「ラッキー・ストライク」はトレード・マークを表裏に配しどちらの面を上にしてもその商品とわかるデザインで、道に捨てられてもひと目でわかるといわれたほど画期的だった。

*2 早川良雄(1917~2009年)
戦後日本のグラフィックデザイン界を代表するデザイナー。大阪府に生まれる。1936年大阪市立工芸学校図案科を卒業。1952年三越、近鉄百貨店宣伝部などを経てフリーとなる。1982年紫綬褒章。1988年勲四等旭日小綬賞。「カロン洋裁研究所」、近鉄百貨店「秀彩会」のポスター、神戸の洋菓子店「G線」のデザインなどで、世界的な評価を得た。

*3 1950年代から60年代始めにかけて映画は庶民にとって一大娯楽だった。1958年には興行収入が724億円、映画館の入場者数は11億2,745万人に上りピークを迎え、その後、テレビの普及に伴い入場者数は減少していく。(日本映画連合会(1957年社団法人日本映画製作者連盟に改組)調べ)大映で製作・配給された映画には、1951年にヴェネツィア国際映画祭グランプリを受賞した黒澤明監督の『羅生門』がある。

【参考文献】
・Maekawa, Axel and May Vervoordt Foundation, 2014
・MaekawaⅡ, Axel Vervoordt Gallery, 2016
・神戸アートマルシェ「BEHIND ART Interview14 前川 強」2016年
URL: http://www.art-marche.jp/interview/14/

【作品画像】Work (No.151026), 1982, 130.3×162.1cm, 麻布、縫い、アクリル

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○企画展

前川強
ドンゴロスは生かされている。
色と形と物質による純粋抽象表現で発言する。

会期:2020年2月8日(土)〜6月28日(日)

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